世界を変えた発見や発明がある。
しかし、人間というのはなんと自分の都合だけを考える存在か
便利ならばそれでいい。仕組みがどうであろうが、原理がどうであろうが
かまうことはない。利用できればそれでいい。
例えばテレビ、中身がどんな仕組みであろうが関係ない。
テレビの中身はブラックボックスとして、知らなくていいものになっている。
世界を変えた発見や発明にはどんなものがあるのか
半導体、トランジスタの増幅回路、増幅という現象がなかったら
この世の中はどんなだったろう。それにつづくコンピュータもできない。
ガソリンエンジン、ガソリンの爆発力で自動車社会ができた。
エンジンの発明は社会を変えた。世界を変えた。
モーターの発明、これは先に発電機があったようだ。
それで発電機がモーターにもなることがわかった。
ガソリンエンジンが消えてモーターだけになるようだが
大丈夫か?ガソリンエンジンの大発明は捨てるのか?
石油の使い道は化学的なものだけに移行していくのか?
最近AI=人工知能というものがどんどん発展している。
そこで起こる社会の大変革、一般大衆はただ見守るだけ。
不思議なことに明治時代と違ってこれらのことをどんどん
学習してやろう、教育でヒトを育てよう、という雰囲気は
全くない・・・・
せめて世界を変えた発見や発明についてどんどん取り入れて
教科書を変えていく必要があるのではないか?
先端技術はごく一部の秀才がやってくれているから?
教育は暇つぶしか、子守になっている。
いや、実は学習してやろうと思えばいつでも実行可能なのだ
そういう環境はこのネット社会では充分すぎるほどある。
だから、もう制度としての教育にはたよらない。
自分でなにが必要か、それもAIで答えを出して自分だけのカリキュラムを
組んで、自分で教育し、自分で学習していく・・・それが正解
posted by レンズマン2 at 00:04|
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日記
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